ALS嘱託殺人の報道で感じること
最近の事件。
命を断つ依頼をした彼女の主治医のインタビューを読んだ。
以前このブログにも書いたNHKスペシャル
『彼女は安楽死を選んだ』を見てから変わっていった、とあった。
やはり、あのドキュメンタリーは死を意識する人間に対し、大きな影響を与えていたのだ。
おじさんも死に直面し、命は取り留めたものの人として当たり前のいろいろなものを持っていかれてしまった。
感情、考える、脳に障害はなかったので、
人としての尊厳、自尊心、誇り、どん底まで落ちていた。
「なぜ死ねなかったのか、神様は残酷だ。」
「もう自分で死ぬ事さえ出来ない。」
死を選んだ彼女とは違い、自分の努力で少しでもどん底から上がっていくことが出来るおじさんでさえ死を思う。
出来ることが出来なくなっていくことはどれだけ恐ろしいのだろう。
死に向かうことを日々実感する。
自分の人としての最期を自分で決めることは
悪なのか。
死を選ぶのは悪なのだろうか。
テレビでは、
この事件で障害や病気のある人間は生きている意味がない、と見られることがあってはいけない、と言っていた。
確かに、そんな風に見られることがあってはいけない。
でも、この事件でそういった見方になる人はいるのか?
殺人を肯定するのではない。
あってはいけない。当たり前のこと。
この事件の本質はそこではないのではないか。
自分の人生を選ぶ権利。
他人の痛みを本当にわかりはしないのだから。