感覚の共有
他人の痛みはわからない。
特に経験したことのない痛みを相手に伝えるのは難しい。
おじさんがどういう病気で、どういう薬を飲んでいて、血圧、体温、体重などのデータとしての状態は他人も理解出来る。
しかし、目に見えない感情や感覚は健常者同士でも理解し合えることは難しいだろう。
表情や仕草、声のトーン、会話においての微妙な間などで相手が何を考えているのかを感覚的に理解しようとする。
おじさんはどれも障害がある。
長く一緒にいる私でさえ、些細な表情の変化を読み取れるようになったのはここ1年くらい。
そんなおじさんを理解するには忍耐強く会話でのコミュニケーションをとることだ。
ゆっくりたどたどしく話す会話を遮ることなく聞いてあげる。
簡単なことのようで、これは結構忍耐がいる。
何が言いたいか。
おじさんの体調が安定しなくデイケア、デイサービスを休みがちな事に対して、介護職の方が
「頑張って行って下さいね」
と、安直に言うのはいかがなものか、と。
頑張れ、は精神論。
行けない原因に対して、具体的な対策や提案をするのが専門職の方の仕事ではないだろうか。
当然、利用者の突拍子もない希望を叶えるためのことをしろ、とは言わない。
でも、デイケアに行きたい。デイサービスに行きたい、という意思をサポートして欲しいのだ。
私は難しいことを言っているだろうか?
公的なサービスに求め過ぎなのだろうか?
次に会う時に伝えてみようと思う。
なにせ黙っていられないたちなので。