倒れてから初めての選挙
昨日は市議会議員選挙の投票日。
おじさんが倒れてから3年半、その間に選挙は何度かあったが行ったことはなかった。
今回も行くつもりはなかったが、おじさんの妹さんに投票を頼まれ行くことになった。
おじさんは字を書くことが出来ない。
なので事前に代理投票の仕方を聞いていたらしく、文字が書けなくても他の人が記入すれば大丈夫とのこと。
朝から曇り、今にも雨が降りそうな天気。
体調と天気次第では行かないつもりだったが、大丈夫そうだったので投票所に車で向かった。
病院と介護施設以外に行くのは久しぶり。
ましてや公的行事の選挙に参加するとは思ってもいなかった。
勝手なイメージだがこういった役所関係の人は冷たそう。面倒くさそうな態度を取られたら嫌だな、と少し緊張していた。
障害者用駐車スペースに車を止め、おじさんを降ろしていたら、中から人がやってきて、
「大丈夫ですか?」と、声をかけてくれ、投票所まで案内してくれた。
字が書けないのですが、と伝えると、本人の代わりに選挙管理委員の方が記入し、本人が最終的に投票箱に入れる流れらしい。
本来なら記入場所に貼ってある立候補一覧から投票する方を指差して伝える。
しかし、おじさんは目が悪いので無理。
その旨伝えると、周りに聞こえないような小さな声で伝えて下さい、とのこと。
最近は声のボリュームをコントロール出来るようになったが、少し前まではコントロール出来ず、いつも大きな声が出てしまっていた。
大丈夫かな、ハラハラしながら見守る。
こういった場所で、しかも私以外にちゃんと伝えられるか心配だったが、ちゃんと伝わったみたい。
投票箱の前で折った用紙を渡されたおじさんは軽くサポートされながらも自分で投票を終えた。
おじさんは終始ご機嫌。
家に帰ってからも、妹さんにちゃんと行ったことを伝えたいと電話をし嬉しそうに報告していた。
今回のことで感じたこと。
■障害者に対して意外と親切
世間に対して過剰な恐怖心と不信感を抱いていたかも。
■人間は頼られることが活力になる
この3年半、おじさんは何をするにも誰かにお願いをして生きてきた。誰かにお願いをされて出来たことは、この体になって初めてだった。
やり遂げれたあとのおじさんの嬉しそうな姿。
やはり、人間は誰かに頼られて、必要にされることが社会で生きていることを実感でき、それが生きる活力になるのだ、と思った。
あらためて、おじさんが誰かの役に立てれるような「何か」を一緒に探さなければ、と気が引き締まった日曜日だった。