期待ではなく受容の大切さ
昨日は何もない日だった。
デイケアも訪問もない日は火曜日と木曜日。
何もない日は車イスに6時間乗るのが目標。
流れは、午前、午後、夜の3回に分けて各2時間の計6時間。
達成出来る日は少ないのだが。
良い天気の日は体力をつけるための足こぎをしに行きたい。
寒すぎる冬、暑すぎる夏は行けないし、福井は雨が多いから1年を通して、外に行ける期間は貴重なのだ。
行きたい、というのは、行けないことが多いから。
どこかしら痛ければ行けないし、調子がいいからと車イスに2時間以上乗ると疲れて行けないし、うんちの日は体力を使うから疲れて行けない。
何かしらある事が多いのだ。
昨日は朝から天気が良く、出来れば足こぎに行きたいと思っていたのだが、うんちの日だし、角膜炎の治りかけで太陽が眩しいから、きっと行けないだろうと思っていた。
行けるとしたら夕方。
おじさんの家に着き、さらっと聞いてみた。
天気が良いから足こぎ行きたいね、眩しくない夕方くらいに行こうか?
本人も行きたい、とのこと。
私がおじさんの家に着いたあとの流れは、
- 体調の確認(どこか痛いところはないか)
- 1日のスケジュール決め
ウンチの日だから、午前中乗車、午後ウンチ、夕方足こぎの流れに。
だいたい本人はあれもやる、これもやると口では言うが出来ないことが常。
私も期待しないようになっていた。
スケジュール通り午後のウンチが終わり、ベッドで1時間くらい休んでから、
足こぎどうする?と、聞いてみた。
「行こうか」
本当に?本当大丈夫なの?聞きかえす。
「頑張らな」
きっとすぐ帰ることになるだろうけど、本人のやる気を削いではいけない。
疲れたらすぐ帰ればいいね、といつもの場所へ。
最終的に7往復の足こぎが出来た。
家に帰って疲れ果てていたが、あとはご飯を食べて寝るだけだから問題ない。
おじさんとっても頑張った。
思った事。
おじさんがやる、て言った時に疑うようなことを言ってはいけない。
本人も不安になるだろうし、やっぱりやめておこうとやる気が削がれてしまいかねない。
やるとなったら間髪なく!
やれる時もある、やれない時もある。
期待するから失望する。
すべてを受け入れ、上手に受け流すせるようになりたい。