障害者の入院は大変
前回の投稿で、回復期病院から自宅療養に変わったあと、1ヶ月近く入院したことを書いた。
その時のことをもう少し詳しく。
4月1日:救急車で運ばれた病院から日赤へ転院。その日のうちにドレナージを実施
4月5日:絶食からおも湯ご飯へ
4月6日:入院していた回復期病院の担当してくれていた理学療法士の方がお見舞いに来てくれた。搬送されてから1週間、車イスに乗っていなかったのだが、試しに車イスへの移乗をしてくれた。本人的には体の衰えを感じていたが、側から見るとそんなに変わっていないように思う
4月7日:点滴の針を足の甲に刺したので車イスに乗れない。変わりに端坐位の練習をしたが目まいがひどくすぐ終了
4月9日:昼ごはんから7分粥に変更。午後から車いすに乗るが30分しか乗れなかった
4月10日:ウンチも硬くなってきていて異常なし。車イスは1時間くらい乗車
4月12日:夕方から胸が痛いと訴える。心電図、血液検査を行う。数値の異常はあるがはっきりした原因わからず。また絶食に
4月16日:数値が戻りお昼から重湯スタート。立位、端坐位の練習のみ実施
4月18日:手術前検査でエコーを撮るため久しぶりに車いすに乗る。ずっと乗っていなかったのに上手に移乗出来た。本人が思うよりも、体は優秀でちゃんと動作を覚えているのだろう。
手術前の説明を受ける。脳出血をしたことがある人の方が術後の合併症のリスクが増えるとのこと。最悪術後1ヶ月の入院になる可能性もあり得る
4月19日:手術。腹腔鏡手術。胆嚢は腐り、肝臓や腸と癒着していた
4月20日:夜の間、ずっと痛みを訴えていた。痛み止めが効いてる時以外はずっと痛い。炎症がひどかった分、痛みが大きい可能性があるとのこと
4月21日:お昼から5分粥スタート。端坐位の練習も始める
4月25日:お腹の管を抜いた。退院日が決まる
4月27日:ポータブルトイレでウンチ出た
体重64.2キロ。入院時から5キロくらい減った
4月28日:退院
入院中、面会時間に行き、終了時間に帰る、という生活をしていた。
手術前後には病院に泊まり、おじさんのお世話をした。
介助をしながら疑問に思ったこと。
介護と看護のさかい目はどこなのだろう
おじさんは自分で全う出来ることは一つもない。ご飯も、お皿からスプーンで口に運び食べることは出来るが、皿の位置を変えたり、落としたものを拾うなどは出来ない。
誰かがそばで手伝いをしてあげなければ、ご飯を食べきることは出来ないのだ。
飲みものも薬もそう。
面会時間前の朝食を残すことが多かったのも、おじさんが看護師さんに食べさせてもらうお願いをしづらかったからだろう。
排尿は管を入れていたから大丈夫だが、ウンチの時はポータブルトイレを借りて私が介助していた。
この1ヶ月、おじさんも大変だったが私も大変だった。
この時のことは、日記を読み直して書いているのだが、退院の2日前に不満が爆発して1日病院に行かない日があったらしい。
もうほとんど記憶がなく、なぜ爆発したのかも覚えていない。
きっとストレスが限界に来ていたのだろう。
この時のおじさんの介護度は、要介護4。
障害者の入院は本当に大変。
体調維持が重要だと、この時身に染みて感じたのだった。